介護。

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じゃなくて、介助。

まだ、介助。

昨年、母が杖を持っているのを見てから、いつかこういう日が来るな、そろそろ覚悟しなくては、と思っていたのですが。

思ったより早く、母の具合は悪くなったようです。

昨日、いつもはメールしかしてこない(許してない)母から、着信がありました。

何かと思えば、「腰が痛くて動けなくなってるから助けてほしい」とのこと。

とりあえず3階に上がってみると、ベッドから降りようとした状態なのか、動けなくなっている母が。

トイレに行こうとしたものの、腰の痛みで動けなくなり、もちろんトイレには間に合わず・・・。

立つのを手伝い(と言っても、痛がるのでわたしが支えて立たせる訳にもいきませんでした)、汚れたズボンと下着を脱がし、トイレに着いて行き、服を着せ。

自分でも、嫌な気持ちとか腹が立つとか、全くなくて、かといって過剰に心配するでもなく、淡々と手伝ったことに驚いています。

両親の介護なんて、絶対しない、と思っていました。わたしの人生をめちゃめちゃにした人たちに対して、そんな義理はないと思ってました。

でもまあ、なんか淡々とあっさり受け入れてしまって、拍子抜けです。

父がいるのですが、週三回、人工透析を受けに行くので、その日は何かあったらいけないので、これからは外出できなくなりますね。

まあ、仕方ないです。

が、こんなふうに穏やかに思えるのも、こむぎがわたしを癒してくれたからだと思います。

こむぎ、ありがとう。ってか、お母さん、こむぎに感謝してください。
 
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年下の従妹がなくなりました。

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2つ年下の従妹が亡くなりました。本当なら、20年か30年先に、「そろそろ、あたしたちにもお迎えが来るねぇ」などと笑い合うはずの。

数年前、わたしがオーバードーズをして実家に帰ってしばらくの頃、彼女がガンになったことを知りました。スキルス性の胃がんで、かなり進行していて、その時も危なかったのです。が、その時は手術が成功し、わたしは、自分自身がまだまともに起きられなかったこともあり、お見舞いに行くこともありませんでした。

先週、もうかなり悪くなり、余命が長くないと聞き、急いでお見舞いに行きました。たくさん話をしました。体が辛くて、いっそもう死んでしまった方がいい、と言っていました。そのことを自分で「贅沢だ」「わがままだ」と言っていました。わたしは、「辛いなら辛いと言った方がいい。他人と比べてマシだとか、恵まれているとか、そう考えて体が楽になるわけじゃない。体が辛いんだから、心が辛くなるようなことをしたらダメだ」と言うことしかできませんでした。逆に、彼女はわたしの病気を気にかけてくれていました。わたしが、こんな病気だから彼女も、死んでしまった方が楽だ、と言えたのかもしれません。

それでも、余命は3ヶ月と聞いていました。具合が良くなったり悪くなったりしているから、もっと早くなるかもしれない、と彼女は言っていましたが、こんなに早く逝ってしまうなんて、思っていませんでした。「また来るから」と約束したのに。そろそろ、また会いに行こうと思っていたのに。

親の葬式に着るつもりで用意していた喪服に、彼女のお葬式で先に袖を通すことになるとは、思ってもいませんでした。もう何年も前に買って、でもまだ値札のついたままの喪服。

憎みぬいた親の葬式の為に、嗤いながら用意した喪服です。両親と姉に手ひどく裏切られ、彼らを心底憎みました。姉と縁を切ることを親に強要し、姉には決して親の死に目には会わせない、と決めました。通夜にも葬式にも来ることを許さない、と。それは、姉への報復であり、両親への報復でした。親の死に目に会えない姉。死んで尚、娘に会うことのできない親。

その様を見る日を思って、その時、親と姉を嘲笑ってやろうと思って、暗い悦びを抱いて用意した喪服です。こんなことで、着たくはなかった。彼女の為に着ることになるなんて。彼女に、申し訳なくて。

まだ、早すぎるのに。

要領を得ないにもほどがある。

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うちの親はまともに連絡ができない。よそから連絡事項があっても、まともに伝達できた試しがない。

ここしばらくうちの前の道でガス工事をしている。事前に、車の出入りができなくなる時があるから、その時は臨時駐車場を使ってください、とチラシが来た。また工事期間の間にガスを止める時があるけど、日時が決まったら改めて周知します、とも。

工事が始まって数日、母親から、「しばらく車の出入りができなくなるので、出入りの必要があれば角の駐車場に停めてくださいとのことです」とメール。「?」と思いました。確かにうちの道の角には貸し駐車場があるけど、周囲の住民で契約している人が多くて空きがあるようには思えない。「チラシにあった臨時駐車場じゃなくて角の駐車場なの?」とメールしたら、「パパが聞いたのではっきりしません」と返事。後刻、「工事の人に確かめたら、やっぱり借り上げてる臨時駐車場でした」と。何を聞いてんだか、年寄りだからっていい加減にもほどがある。

その時点で、はっきりと呆れていたのですが。

水曜だか木曜だかに内線が鳴って、「今度の土曜の午後ガスが止まるけど都合は大丈夫ですか、って工事の人が言ってきたけど」と。午後?午後全部なの?何時から何時って決まってるの?工事の都合で決まってないの?と思ったので、「何時頃か決まってんの?それが分かんないと都合がいいか悪いかなんて言えないよ」と返事をしたら、また「パパが聞いたからはっきりしない」。

で、工事の人に改めて訊いたらしく、「止まるのは1時から3時で、そのあとガスが通ったかどうか室内に確認に来る」と連絡してきた。そのあと?そのあとって、止まるのが終わってすぐ?それともしばらくかかるの?どのくらい待つの?と思ったから、「そのあとっていつ?」と訊き返したら、「そんな分刻みの予定は聞いてない」・・・はあ?誰が分刻みのスケジュールを訊いたのさ?「その後」じゃ漠然としてるから、はっきりさせてほしいだけでしょ?工事の都合ではっきり決まってないのか、親がはっきり確認してないのかで、話が全く違ってくるでしょ?わたしが無理難題言ってるみたいな言い方しないでよ!部屋で点検の人が来るのを待つのだって、いつ来るか何時まで待たないといけないかが全く分からないで待つのと、目安があるのでは違うじゃないか。

確かにわたしは勤めもしてないし、在宅の仕事をしている訳でもない。それでも毎日朝晩犬の散歩に行くし、リハビリを始めてからは週3回病院に通ってる。リハビリをした日は、他人の使ったベッドと枕を使うから、どうしてもシャンプーをしたい。一方で、今は暑さを避けて夜は7時を回ってから散歩に行くから、散歩から帰ってからシャンプーしたら(その方がいいに決まってはいるけど)ドライヤーをかけるのも含めて1時間くらいかかるから、寝るのが遅くなるし、疲れて億劫になることもある。だから、リハビリの後昼間のうちにシャンプーを済ませるようにしている。

今日の土曜日はリハビリの予定だったから、ガスが止まるまでにシャンプーするか、ガスが通ってからシャンプーする時間があるか(散歩に行く2時間前には犬のご飯を済ませないと行けないから)で話が違ってくる。ガスが止まるまでにシャンプー済ませるなら、早い時間にリハビリに行かないといけないし(土曜は午前しかないから混むことも多い)、そのためには朝のお散歩は長いコースには行けない。そういうことを予め決めないといけないんです、一応。

お勤めをしている人に比べたら、確かに時間はたっぷりあるし、融通も利く。でも、わたしは病気が治りきっていなくて体調が万全とは言い難く、とにかく毎日朝晩の犬の散歩だけは欠かさないために、体調には特に気を使ってる。そのために早く寝るようにしているし、早く寝るために昼間にできるだけ用事を済ませておくようにしてもいる。24時間のんべんだらりと暮らしてるわけじゃない。療養中の気ままな(に見える)暮らしでも、どういう順番で用事をこなしていくか、毎日考えて行動してる。せざるを得ない。

しかも、ここ一週間くらい、夕方になるとひどい不安感と緊張感に襲われて、涙が出そうになったり(この前の日曜はわあわあ声をあげて泣いてしまったほど)、もうお散歩行きたくない、と思ってしまったりするので、その対処の為にも夜にシャンプーしなくちゃならない、という状態にはできない(限られた時間で全部済まさないとならない、と思うことが不安や緊張を引き起こしているかもしれないから)。とにかくお散歩は休めないから。

それを、あいまいな情報しか連絡してこなくて、それを訊き糺したら、「分刻みの予定は聞いてない」とか、わたしがむちゃくちゃなことを言ってるみたいなこと言って!きちんとした予定を訊いてこないあんたたちが悪いんでしょ!

二人とも曲りなりも何十年も教師として仕事をしてて、要件をきちんと確認できないとか、どういう神経してるんだか。年をとったせいなのか、元々教師の世界なんてそんな認識で過ごせるものなのか。民間の会社勤めをしたわたしからすると、「そんな不確実な連絡でことが足りると思ってるなんて非常識!」としか思えないんですけど。呆れてしまって本当に腹が立つ。

参った、本当に参った・・・

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母親の無神経さには、ほとほと辟易していたのだけど。久しぶりに接してみて、本当に参ってしまった。不愉快になるだけでは済まず、涙がボロボロこぼれて止まらないほど、精神的におかしくなってしまった。

ちょうど1年ほど前のこと。当時、わたしは寝たり起きたりで、食事も洗濯も母親にしてもらってた。わたしがやっていたのは、こむぎのご飯とトイレの世話だけ。

こむぎはまだ仔わんこで、一日の多くを寝て過ごしていた。本当によく寝てた。母親は、食事を運んでくるたび、「犬ちこんなに寝るもんやと知らんかった」と言ってた。その流れで、冗談と言うか軽口というか、そういう軽い気持ちで言ったんだとは思うけど。ある日食事を運んできた母親がわたしの前で言った。

「あんたはえいねえ。寝よったらご飯が出てくるき」(あんたはいいねえ。寝てたらご飯が出てくるから)

こむぎに言ったのはわかってます。軽口で、深く考えて言ったことではないのも。だけど、母親に食事を運んでもらってるわたしの前で言いますか?そして深く考えてないから性質が悪いんです。悪気がないから、同じような無神経な言動を繰り返すから。

実際それまでにも、何度となく母親の無神経な言葉にわたしは傷ついていました。母親は、わたしが怒ったり泣いたりして、初めて自分の言ったことがわたしを傷つけたことを知るようでした。そして、すぐに忘れてしまう。

わたしが、「いつまでも怒っているのは大人げない」と思って、なんとか表面上は和やかに接するようになると、母親の中では、わたしを傷つけたことは『なかったこと』として忘れられてしまう。忘れるから、つけあがって、わたしとすっかり仲直りできたかのように振る舞う。でも、わたしは表面上仲良くしてるだけなので、傷つけられたことを忘れたりはしてないので、そういう態度に腹が立つんです。

だから、1年前、母親の出入りを禁じました。腹を立てているわたしをこむぎに見せるのは、こむぎによくないと思ったから。それまでの経験上、母親は一時は反省しても、すぐに忘れて似たような無神経な言動をすることが分かっていたから。

でも、最近わたしの半月板が割れていることが分かって。今は歩けないほどの痛みがないから、ヒアルロン酸注射で治療をしているけど、効果がおもわしくないなら手術をすることも考えないといけなくなって。手術をすれば、入院と松葉杖生活を余儀なくされます。その間は、こむぎの世話やお散歩ができません。

訓練士さんにはこむぎも馴染んできているので、訓練所に預ける方法もあるのでしょうが、同居している母親がいるのだから、まずは母親に頼むのが筋だと思い、母親がこむぎを散歩させられるように練習をしよう、と訓練士さんに相談しました。

それで、金曜日、母親に久しぶりにこむぎに会ってもらいました。訓練を始めてすぐのころ、人に慣れさせるため、日に3度ほど母親に部屋に来てもらい、こむぎに馴染んでもらいました。でも、またぞろ母親がつけあがってきたので、だんだん来させなくなっていたのです。

久々に母親に会ったこむぎは盛大に吠えましたが、しばらくしたらおやつを手から食べるくらいにはなったので、慣れさせれば十分母親と散歩に行けるようになったでしょう。

けれど、わたしの方がダメでした。どうしてわたしの部屋に出入り禁止になったのか、すっかり忘れたような母親に、ムカついたのです。1年前、「寝よったらご飯が出てくる」と言われたことはずっと忘れたことがありません。確かに、わたしは寝てばかりいて、母親がご飯を出してくれていたけど、そういう生活をせざるを得ない体になったのは、そもそも両親と姉のせいで鬱の地獄に突き落とされたからです。その母に、そんなことを言われるなんて。忘れられるはずがありません。

母が部屋から出て行った後、何もなかったような態度の母を思い出して、腹が立ち、わたしは許していないんだという旨のメールをしました。母親は、1年前のことを覚えていませんでした。どういう場面でいつ言ったのか覚えていないと言ってきました。たぶん言ったという事実すら覚えていないと思います。

その上、翌日、「お誕生日のケーキはクリームにしますか、チョコにしますか」とメールしてきました。訳がわかりません。確かにわたしの誕生日は近いけど、今その話?わたしが「昨日、あんたを一生許さない、と言ったのをもう忘れたの?」とメールしたら、「忘れてませんが、誕生日も忘れてません」とメール。「意をお汲み取りください」ときた。は?ってなりました。自分の意を汲み取って欲しいという前に、わたしの気持ちを汲み取れよ!

土曜日、わたしはひどく体調が悪く、涙がボロボロこぼれて止まらなくなりました。こむぎが来てから、涙ぐんだことさえなかったのに。

もう無理だ、と思いました。こむぎとお散歩に行けるようになってから、とても体調がよく、寝込むどころか毎日6時半に起きて、朝のお散歩。昼間は掃除や洗濯をして、夕方またお散歩。仕事はまだまだ無理だけど、『ちゃんとした生活』ってやつができるようになっていました。でも、母親と接しただけで、すぐに具合が悪くなってしまった。もし、こむぎに慣れてもらうために、母親と接することを続けていたら、せっかく良くなった体調がまた悪くなると思いました。

わたしの体調が悪くなったときの為に、母親にこむぎの散歩の練習をしてもらって、そのためにわたしの体調が悪くなってしまうのでは、本末転倒っていうか意味がないっていうか。

だから、こむぎの面倒を母親に見てもらうのはやめにしました。母親とは関わりたくない。せっかく体調が良くなって、普通の生活が送れるようになったのを乱されたくない。

わたしは、こむぎとだけ一緒にいたい。それ以外のものはいらない。本当に要らない。っていうか、わたしにとっては親は害悪でしかない。

お母さんと電子機器

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うーん。むしろ、『お母さんと新しい物事』若しくは『お母さんと寄る年波』と言った方がいいのか?

お母さんは、どちらかと言えばしっかりキビキビした人だった。電球の交換すら厭う父に対し、テレビなどの配線もするし、ビデオの操作もできるし、簡単なDIYもするし、だいたい何でもできる人だった。少なくとも、わたしから見ればそう見えてた。

でも、PCから後はちょっと頼りなくなった。PCに興味は持ったけど(父はてんからやる気が無い)、インターネットの初期の頃の「ネットは怖い」というところだけ聞きかじって、インターネットはもちろん、PCも使いこなせなかった。あえてPCでやらないとならないこともなかったのも、PCへの意欲が湧かない原因だったかもしれない。

そのお母さんのガラケーが、メモリが不足したため動かなくなった。もう古い機種だし、買い替え時。電話とメールしかしないから、ガラケーで十分ではあるけど、わたしはTwitterをして欲しい。

というのも、わたしとお母さんは東日本大震災の時つくばに居て、互いに連絡が取れなかった。職場からアパートまで車で五分だったけど、帰宅するまではお母さんが無事かどうかハラハラして、運転しながら不安のあまり泣いたのだ。

当時、Twitterだけが情報源で重宝したのだけど、その後、災害などの時の連絡用に家族共有のアカウントを作っておくとよい、というアイデアを知り、すぐにアカウントを作りました。

で、使い方を教えたのだけど、お母さんは使いこなせない。使いこなせないまま、使って練習することもしない。でも、ガラケーだと使い勝手も悪いし仕方ないとも思ってました。

ので、この際iPhoneにして、Twitterも使いこなして欲しい、と。で、本人も一応その気にはなってくれたけど、店頭に一人で行っても、要領を得なかったんでしょう、「分かる人と来てください」と言われたとか。

仕方ないから、11日に付き添ってソフバンショップに行きました。分からないことだけ噛み砕いて説明するつもりでついて行ったのに、自分からは何一つ具体的に質問できないお母さん。結局、何もかもわたしが尋ねるハメに。「何が分からないかが分からない」状態だったのでしょうか…

結局、iPhone5にすることにはしたものの、いったん帰ってよく考える、と。まあ、それは順当なこと。次は一人で行くから、と。

で、お母さんのPCは古くて、iPhoneのバックアップには対応してないので、Wi-FiでSDカードにバックアップする機械も買うことにしました。が、ソフバンショップでは、microSDとアダプタを売りつけてくるので、SDカードは使えないの?と訊いたら、使えるとのこと。それならケーズデンキとかでSDカードを買った方が安い、とお母さんに説明しました。

そしたら今日言うことには、「ケーズデンキ行って聞いたけど、そういうのは売ってないと」???です。だって今日のこと、わたしもカメラ用にSDカードを買ってきていたから。

よくよく訊くと、無かったのはバックアップ用の機器のことでした…orz それはソフバンの出してる商品だから、パナソニックの…と訊いてもある訳がない。

隣でわたしと店員の話を聞いてても、何について話しているか、全く理解していない。正直、うんざり、という
か、イライラ。

もう新しいことに頭がついていかないのでしょうか?少し前にわたしにかかってきた電話も、どこからかかってきたのか、ちゃんと伝えられないんですよね。アルファベットとかカタカナが入った言葉は正確に言えない。聞き取れていないのかも。困るのは、聞き取れないまま、或いは勘違いしたまま、確認取らずにうろ覚えで伝えてくること。

子どもの取り次ぎより劣る。でも、それも寄る年波には勝てないってことなんでしょうか?新しいことを吸収できないのも。理解の遅さやうろ覚えに苛立って、メモを渡したり、操作が簡単になるように設定をしてあげたり、手をすけるから、一層自分ではできなくなるんだろうか?それとも、もう年だから、手を助けてあげるのが正解?

どうして親は子どもの気持ちを忘れるのか。

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先日、ツイッターの相互フォローしていた女性が、「暑いから離れて」と子供に言ったというツイートをしていました。わたしは、軽くショックを受けて、「そういうことは冗談でも言ってはだめです」とリプしました。というのも、小さいころ痩せっぽちだったわたしは、やはり鶏がらみたいだった母親に、膝に乗ると「骨が痛いからどいて」と言われて、とても悲しい気持ちになったからです。そのことをリプしたら、彼女は「不快な思いをさせてすみません」とリプしてきました。わたしは、「違う」と思いました。わたしにイヤな思いをさせたのはわたしの母であり、彼女が謝るべきなのは、彼女の子供です。その旨、リプしたら、見事ブロックされました(笑)

ま、いろいろ耳に痛いこととか、若干しつこいこととか言われたら、リムしたりブロックするのは、ツイッターの自由な使い方なんで、いいんですが。

ただ、本当に悲しいのは、どうして『親』になったら『子供』の気持ちを忘れちゃうのかな?ってことです。『大人』になったら、過ぎ去りし『子供時代』の感覚が失われるっていうのは、まあ分からないでもないです。自分もそういうのあるし。二十歳になれば、10歳くらいの頃のこととか忘れてるし、30歳過ぎれば、二十歳の頃の心持とか薄れてるしね。

でも、『親』になるって、そういうことで済ましていいこととは思えない。わたしは残念ながら母親になれなかった人間です。だから『親』の気持ちが分からなくて、『子供』の目線でものを考えてしまうのかもしれませんが。それにしても、わたしの親にしろ、よその親にしろ、なんでそんなに子供を自分の価値観で見るのか?と疑問です。子供には子供の『理屈』があっての言動なわけなんですが。自分が『子供』だったころには、そういうのを押し籠められたりして、理不尽だ、と思ったこと皆あるはずなのに、『親』になった途端そういうことは忘れ去って、子供を所有物か何かみたいに扱って。

よく、親になって親のありがたみが分かる、って聞きますけど。親のありがたみより、子供の気持ちを考えろ!と言いたいです。

うちの親は、わたしのことを「欲しくて欲しくてやっとできた子」と言いますが、その割にはちゃんと親としての愛情を注いでくれたわけではなく。まあ、わたしや姉が生まれる前から教師だった人が父親母親になったんで、『教師である父親』『教師である母親』にしかなれなかったのかもしれませんが、子供の方からすればいい迷惑な話でして。姉は全部右から左へ聞き流す人だったので、それなりでしたが、わたしは全部真っ向から聞く人だったので、学校でも家でも『教師の前のいい子』でいなくてはならなくて、ホントに安らぐ場所がありませんでした。

結局、うちの親の言う「欲しくてやっとできた子」というのは、要するに親のエゴでして。おもちゃを欲しがるのと大差ないって言うか。「欲しかった」というのは親の側の事情で、生まれてきた側としては「知ったこっちゃねぇ」です。

大体、子育てに家事に仕事に忙しいんだ!とか言う人。それ全部、自分で選んだことじゃないんですか?就職だって結婚だって出産だって、そこに自分の意思が働いてるでしょ?でも、子供は親を選べないし、「生まれてこよう」と思って生まれてきたりはしないです。ちょっと自分のこと考えれば分かるでしょ?あなた、「生まれよう」と思って受胎したんですか?ってことです。全部、親の決めたこと。それを子供にしわ寄せするのって、あんまり自分勝手じゃございませんか?ってことです。

ホント、世の親に言いたい。勝手に産んどいて、子育ては大変とかほざいてんじゃねぇ!いやなら産まない選択だってあっただろ!産んだんなら、責任持てよ!虐待しないから、ちゃんと子育てしてるとか思うな!ネグレクトしてないからいいとか思うな。子供が一生懸命話してるのに、「うるさい」とか言うな!子育てで大変でも、それは子どものせいじゃない。愚痴があるなら伴侶に言え。子供に言うな。子供には責任がないんだよ!それが嫌なら、子供産むな!親になろうなんて思うな!

もう大人なんだから

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ママは、もう大人なんだから、かわいそがってあげなくていいの。

SHINOは、もう大人なんだから、ママに言いたいことを言っていいの。

ママのこと、かわいそうって思ったら、何にも言えなくなっちゃうもん。

ママのことは、ママが解決しなきゃ。SHINOのことは、SHINOが解決するの。

やっぱり家を出ようかな・・・

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結局、この家ってアタシにとっての『家』じゃなかったんだなあ。っていうか。そもそも帰りたかった『家』って、要は「安全基地」だったわけだけど、アタシにはもともとそんなものは存在してなかったわけで。

親の愛情とかって、結局親の自己満足だよね。「欲しくて欲しくてやっと生まれた子」とか「二人ともお母さんにとってはおんなじくらい大事な子」とか言うけど、そういう気持ちは親のもので、子供に通じてなければ、一方通行の独りよがりの自己満足だと思う。うちの両親の愛情ってやつは、そういう自己満足に過ぎなかった。

だって、姉はどう思ってたか知らないけど、少なくともアタシは「いい子にしてないといらない子になる」っていう強迫観念があったから、言いたいことも欲しいものも全部我慢して親に言ったことないもん。「大事にされた」「愛された」っていう実感がない。だから、病気して見捨てられそうになった後、大の大人が、親にしきりに「いらない子じゃない?」「いらない子にならない?」って訊かずにいられなくなった。それだけ、不安なんだ。

正直、こんな地獄に突き落とされて、親と姉を恨んでる。憎んでる。呪ってる。にもかかわらず、親の扶養を受けないと生活できない。この十年以上、年に半年くらいしか職につけなくて、職についてる間も体調が整わなくて、欠勤ばかりするからすぐ首になった。で、結局去年仕事をすっぱり辞めて実家に戻ってきて。親の金で生活してるわけ。

正直、自分が二つに引き裂かれて辛い。病気になった原因が親と姉だと思うから、恨んでるし憎い。でも、面倒見てもらってるし、それでないと生きていけないし、病気になって稼ぎのなくなったことで親に迷惑かけてるって思うし、そんなこんなで申し訳ない気持ちもいっぱい。憎さと申し訳なさで引き裂かれる。憎いって思うときは、こんな地獄に突き落としたのは親なんだから、面倒見てもらって当たり前、って思うけど、気弱になってると、働き盛りなのに一円の稼ぎもなくて、年金暮らしの親に面倒見てもらってる自分がふがいなくて、申し訳なくなる。

ここから出て行った方がいいのかな。一緒に居ると、恨む気持ちと頼る気持ちで自分が引き裂かれて辛くなる。卑屈にもなるし。でも、今すぐバイトとかできるわけでもない。健康状態から考えると。たぶん医者も反対だろうな。でも、アパートとか借りて、仕送りしてもらって一人暮らししたいかも。正直、年老いた母を口汚く罵る自分もうんざりだし。昨夜は叩いちゃったし。離れて暮らすほうが、互いのためなのかも。一緒に居るから、食事から何から母に任せちゃうんだし、一人になって自炊とかした方が、いいのかも。

うーん。オチなきゃ、一人でも生活できると思うけど、いきなりスイッチ切れちゃうから、そこがネックか。

8月に東京で光トポグラフィ診断受けられることになった。まずは診察があるらしいけど。その結果次第で、実はうつ病でも双曲性障害でもない、ということになれば、わたしの病気は何だってことになるが・・・病気じゃないってことになったら、この十何年の苦しみは、全部自分の甘えってことになっちゃうのかな?何か全然違う診断が下りるのかな?不安だ。

早く、ここを出て行きたい。出て行って生きられる自信はないけど、ここに居るのはもう辛い。親を罵って泣かすのは辛い。泣かれるとホントに辛い。辛いのはこっちなのに、泣かれちゃうから。

親は、親なりの愛情があったんだろうけど、それはわたしには届かない愛情だった。世の中って、そんなもんなのかも。とか思うけど、自分だけ可哀そうに思っちゃうのは、やっぱり甘えかな。はあ。産まないでくれたらよかったのに。しんどいだけの人生なら。消えてなくなりたい。初めからいなかった人間になりたい。

かなうなら、幼いころの自分に、「そんなに我慢しなくていいんだ」「好き勝手に生きていいんだ」って伝えに行きたいな。
 

憎い、でも恋しい

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わたしをうつ病に陥れた、両親と姉。仕事も辞めざるを得なくて、私生活もパートナーナシ、子どもナシ、病気はもう治らないと云われた。付き合っていくしかない、と。明日の希望もない、将来への希望もない。体を治して、体力つけて、病気を軽くして。その為に、毎日努力しないといけないんだと思う。でも、努力して、何も得られないのに、努力するのは難しい。だって、元気になっても、もう今更子ども産めないし、やりたかった仕事には戻れないし、それに代わる生き甲斐が見つかるとも思えないし。だから、ベッドに篭ってる。考えは暗い方にしか向かない。両親と姉への怨み、憎しみ…いっそ両親殺して、死のうかとも思う。自分がわたしに何をしたか、理解しようとしない父と姉には、憎しみしか感じない。怨みしかない。けど、母には、ヒスを起こして、叩いたり蹴ったりしてしまうけど、何処かで、恋しい。甘えたい。母に見捨てられたら、本当に生きていけないと思う。恋しいから、甘えてるから、母にきつく当たってしまうのかな…大人になり切れんコドモなんやね、多分。

居場所がない

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始めから、わたしには『親』はいなかった。目の前に父と母がいるのに、血の繋がった実の両親が居たのに、それでもわたしには『親』はいなかった。親のない子は悲しかろう、辛かろう。でも、本当の親が生きて一緒に暮らして居ながら、実質『親』ではなかった。そんな子供も幸せとは言えぬ。多くを望んでも仕方のないコトではあるが…。『教師』であることしか出来なかった両親。わたしの前には、昼も夜も『教師』しかいなかった。無条件に庇護してくれる『親』はいなかった。10歳の時のある出来事で、そのコトをはっきりと知ったが、それでも幼い子供には『親』が必要だった。だから、目を瞑った。『教師』である『親』の望むであろう『良い子』で居続ける為に、自分を押し殺して生きた。結局、それが私の『家族』であり、幼子を前にして『親』になれなかった者が、理を説かれたからと言って、今更変わる訳もないのだった。だが、少しでも近づくコトはできると思っていた。思いたかった。だが、空しい望みだった。人はたやすく変わりはしない。実の子に愛も思いやりも持てぬ父が教壇に立ち、子供達に一体何を教えられたのか。甚だ疑わしい。昨夜の、自分の意固地にだけこだわり、相手への思いやりの欠片も持たぬ父に絶望した今更ながら。もう何十年も前に、幼い子供の直感は真実を見極めていたのに。愚かだった。体力と時間と金をかけて、わたしは立ち直りかけた心をズタズタにされに帰省したようなものになってしまった。昔から父とは相入れないものを感じていたが、あの日以来、心の裡をさらけ出し、歩み寄ろうとして来たつもりだった。しかし、相手に歩み寄る気持ちがなければ、わたしがどれだけ頑張っても心を通わせるコトは出来ない。何度、同じことを繰り返し、自分を傷つけて来ただろう。もう、諦めるしかない。わたしは、親のエゴによって望まれて産まれた。わたしは、一個の人間ではない。彼らの望むモノでしかないのだろう。生きる意味を見出せない。それでも、老いさらばえて朽ち果てるまでは、生きねばならないのか。苦しい。あと40年は残っているだろう人生が、途方もなく虚しく、かつ重い。
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