映画『朝日のあたる家』を観てきました
- 2013.11.01 Friday
- 10:42
JUGEMテーマ:映画
昨日、高速使って往復して松山で、映画『朝日のあたる家』を観てきました。半日がかりになり、映画代¥1,700より高速往復¥7,000が4倍もした訳ですが、観に行ってよかったです。自己満足かもしれませんが。
この映画、twitterで知ったのですが、最初は上映館がなくて困っている、という情報でした。太田監督の「この映画は映画館で観て欲しい」というご意向からDVDの発売の予定もないとのことで、ぜひ高知でも上映があれば、と思っておりましたが、残念ながら。それで松山のシネマルナティック湊町さんまで観に行ったのです。
山本太郎氏やいしだ壱成氏が出演されていることから、『反原発映画』と誤解されている向きもあるかもしれませんが、Twitterなどでご覧になった方の感想に述べられていた通り、原発に反対か賛成か、というより、淡々と原発事故が起きたら、平凡な家族がどんな生活に追いやられていくのか、ということを描いている作品です。作中では、福島での原発事故後、静岡沖で地震が起こり、再び”山岡原発”で事故が起きることから始まる避難生活、子どもの病気、一時帰宅、除染・・・などなどが描かれます。その映像を追いながら、「自分だったら」と考えるための映画です。自分が原発に対してどういう姿勢でいるかを越えて、多くの人にご覧になっていただきたい、と思いました。
わたしは、作中で、すぐに帰れるから、と言われて「一晩くらいならお留守番できるでしょ」と置き去りにされるブルースことポン太というわんこの運命が気になって気になって仕方ありませんでした。主人公一家の中3の次女が高汚染地域に長時間とどまる原因にもなるわんこですが、わたしはどうしても自分だったら、と思って観ていました。もちろん、こむぎのことを考えて、です。こむぎは、室内飼いですし、外に出るのを嫌がる子なので、万一置き去りにしてしまったら、外に出ることもできずに野良わんこになることもできず、お腹空かせて、喉が渇いて、苦しんで苦しんで死んでしまうでしょう。そう思うと、辛くて辛くて。次女のまいが、ブルースのことを心配して捜しまわる気持ち、すごくよく分りました。どんなに大変でも、何かあった時にも決してこむぎを置いて行ったりしない、と決めました。もし、こむぎを連れて避難ができないというのなら、こむぎと一緒にとどまりたいと思いました。こむぎと一緒に死ぬつもり。
わたしは、今の実家で3歳の時から育ちました。でも、大学進学に合わせて上京してしまったので、『故郷』に対する執着は強くありません。しかも、実家は県庁所在地である高知市にあり、『田舎』ではなく『地方都市』なので、高知県という『田舎』の県ではありながら、わたしは『都市生活者』なんだと思います。だから、土地に対する執着もありません。だから、福島の人たちには悪いけれど、被曝をしながら故郷にとどまることには反対なのです。それは事故直後から今まで変わりありません。ただ、映画を観て、並木史郎さん演じるお父さんが「ここは俺の故郷だ。俺はここで生まれて外に出たことがない」「割り切りは出来ない」といって泣くのを観て、生まれた土地から離れずに生きて、しかも農業など土地に根差した仕事をして生きている人たちにとっては、その土地から切り離されるということは身を切られるようなことなのだろうと思いました。わたしは、自分の意思で進学を決めて、自ら故郷から飛び出したので、ずっと暮らしてきた故郷から無理やり切り離される辛さは分かりにくいです。原発事故の悲惨さは、目に見えない放射能汚染で、見た目にはなんの変りもない故郷から、自分の意思で離れなければ、命や健康に関わるという、すぐには決断しづらい状況にあると思います。
わたしは、上記の通り、何より置き去りにされたわんこ、わんこを置き去りにした人の気持ちに寄り添って、追体験というか疑似体験をした訳ですが、観る人がそれぞれ、自分だったら、という思いで福島の事故以来何が起こっているのか、その時自分がどう感じるのか、どう行動するのか、考えながら観る映画だと思います。松山では今日11月1日で上映終了ですが、全国ではまだ上映の続くところもあると思います。ぜひ一度ご覧になっていただきたい映画です。
昨日、高速使って往復して松山で、映画『朝日のあたる家』を観てきました。半日がかりになり、映画代¥1,700より高速往復¥7,000が4倍もした訳ですが、観に行ってよかったです。自己満足かもしれませんが。
この映画、twitterで知ったのですが、最初は上映館がなくて困っている、という情報でした。太田監督の「この映画は映画館で観て欲しい」というご意向からDVDの発売の予定もないとのことで、ぜひ高知でも上映があれば、と思っておりましたが、残念ながら。それで松山のシネマルナティック湊町さんまで観に行ったのです。
山本太郎氏やいしだ壱成氏が出演されていることから、『反原発映画』と誤解されている向きもあるかもしれませんが、Twitterなどでご覧になった方の感想に述べられていた通り、原発に反対か賛成か、というより、淡々と原発事故が起きたら、平凡な家族がどんな生活に追いやられていくのか、ということを描いている作品です。作中では、福島での原発事故後、静岡沖で地震が起こり、再び”山岡原発”で事故が起きることから始まる避難生活、子どもの病気、一時帰宅、除染・・・などなどが描かれます。その映像を追いながら、「自分だったら」と考えるための映画です。自分が原発に対してどういう姿勢でいるかを越えて、多くの人にご覧になっていただきたい、と思いました。
わたしは、作中で、すぐに帰れるから、と言われて「一晩くらいならお留守番できるでしょ」と置き去りにされるブルースことポン太というわんこの運命が気になって気になって仕方ありませんでした。主人公一家の中3の次女が高汚染地域に長時間とどまる原因にもなるわんこですが、わたしはどうしても自分だったら、と思って観ていました。もちろん、こむぎのことを考えて、です。こむぎは、室内飼いですし、外に出るのを嫌がる子なので、万一置き去りにしてしまったら、外に出ることもできずに野良わんこになることもできず、お腹空かせて、喉が渇いて、苦しんで苦しんで死んでしまうでしょう。そう思うと、辛くて辛くて。次女のまいが、ブルースのことを心配して捜しまわる気持ち、すごくよく分りました。どんなに大変でも、何かあった時にも決してこむぎを置いて行ったりしない、と決めました。もし、こむぎを連れて避難ができないというのなら、こむぎと一緒にとどまりたいと思いました。こむぎと一緒に死ぬつもり。
わたしは、今の実家で3歳の時から育ちました。でも、大学進学に合わせて上京してしまったので、『故郷』に対する執着は強くありません。しかも、実家は県庁所在地である高知市にあり、『田舎』ではなく『地方都市』なので、高知県という『田舎』の県ではありながら、わたしは『都市生活者』なんだと思います。だから、土地に対する執着もありません。だから、福島の人たちには悪いけれど、被曝をしながら故郷にとどまることには反対なのです。それは事故直後から今まで変わりありません。ただ、映画を観て、並木史郎さん演じるお父さんが「ここは俺の故郷だ。俺はここで生まれて外に出たことがない」「割り切りは出来ない」といって泣くのを観て、生まれた土地から離れずに生きて、しかも農業など土地に根差した仕事をして生きている人たちにとっては、その土地から切り離されるということは身を切られるようなことなのだろうと思いました。わたしは、自分の意思で進学を決めて、自ら故郷から飛び出したので、ずっと暮らしてきた故郷から無理やり切り離される辛さは分かりにくいです。原発事故の悲惨さは、目に見えない放射能汚染で、見た目にはなんの変りもない故郷から、自分の意思で離れなければ、命や健康に関わるという、すぐには決断しづらい状況にあると思います。
わたしは、上記の通り、何より置き去りにされたわんこ、わんこを置き去りにした人の気持ちに寄り添って、追体験というか疑似体験をした訳ですが、観る人がそれぞれ、自分だったら、という思いで福島の事故以来何が起こっているのか、その時自分がどう感じるのか、どう行動するのか、考えながら観る映画だと思います。松山では今日11月1日で上映終了ですが、全国ではまだ上映の続くところもあると思います。ぜひ一度ご覧になっていただきたい映画です。